●まず日本でリリースして一言!
「SHAZAM!驚きだよ!信じられない!一言じゃ足りない」
●アレンが唯一のオリジナルメンバーですが、ここまで長くSHINERを続けられるのはなぜ?
「それは、ただ単に。俺にとてベストな生き方ってこと分かってるんだ。このグループみんなと一緒にやる音楽は、続けることでどんどん良くなっていくんだ。だから、確実にやり遂げたって言ってしまうのは俺にとってずっと難しいままで。それに、俺は「現実世界」に入りたくないんだ。」
●バンド名の由来は?
「SHINERっていう名前は、実は3番目の名前なんだ。最初、俺たちは「TALL MIDGETS」だった。で、それに飽きたから俺たちは「CLOWN CLOWN」に決めたんだ。それから、SHINERにしたんだ。だってCLOWN CLOWNなんていう名前だと、子供たちのお誕生日会に俺たちを呼ぶ母親が一杯だからね。」
●あなた達のホームタウンであるカンサス・シティーのシーンはどんな感じですか?盛り上がっている?
「カンザスシティーのシーンは、驚く程盛り上がってるよ。大きな街ではないんだけどね今だに、なぜこんなに盛り上がってるのか確かな理由を俺は探ろうとしてるよ。だけど、確実なのはたくさんの才能あるミュージシャンがここに留まったり、ここで生まれたりしてることだね。きっと、ここのさわやかな中西部の冬のせいなんじゃないかな」
●一時期MOLLY MAcGUIRE, GIANTS CHAIR, BOYS LIFE, SEASON TO RISK等が出てきてKANSAS CITY PRIDEという言葉が印象的でしたが、どう意味でつけられたの?知ってる?
「KANSAS CITY PRIDEは、’94年から’97年くらいの間、今君が挙げたようなカンザスシティーのバンドの間で合い言葉みたいなものだったんだよ。で、本当にかっこいい何かが突き進んでるって感じていたんだ。だから、すごくいいものを持ってる他の街と一緒にやって行けてるっていう意味を込めてその言葉を広げたかった。俺たちは実際、いくらか揺り動かしていたし、俺たちのちょっとした始まりを誇りに思ってたね。ホームタウンもね。人がみんなシカゴかオースティンか、ニューヨークかLAかどっかから来てる訳じゃない場所をね」
●同郷でもある、若手のGET UP KIDS, COALESCE, ANNIVERSARYとは知り合い?
「俺たちは少なくともそれらのバンドの中の誰かとは何人かとすごくいい友達だよ。いい連中だよ、彼らは」
●僕はFAREWELL BENDが大好きだったんだけど、SPLIT SINGLEも出しているくらいだから仲は良かったの?そのメンバーが新しくやっているCANYONは聴いた事はある?
「FAREWELL BENDとはすごくいい関係だったよ。しかも、その7インチが出た後、3週間くらい一緒にツアーしたしね。CANYONも大好きだよ。俺たちがBURNING AIRLINESとツアーでDCに行ったとき、シンガー/ギタリストのブレンダンに会ったばっかりだよ。彼は順調にやってるみたい。いいことだね」
●個人的に勝手に前のドラマーのティムがSHINERの中で重要な役割を担っていたと思っていたのですが、実際はどうだった?
「ティムはバンドにとってとても大切な存在だったよ。だから、彼が去ったときに、俺たちは誰か彼のやっていたことを全部コントロールできる人が必要だって分かっていたんだ。だけど、バンドで彼は”ソングライター”じゃなかったんだ。彼は演奏で、曲の形作り助けてくれてたし、曲にとってすごくいい変化をくれたんだ。でも、コードとか歌詞やメロディーっていう曲そのもの、それについてはいつも俺が作者としての種で、アイディアをいろんな形に変えて持っていくんだ。それから、みんながそれに加えて行くんだ。 だから、ティムからジェイソンに移ったことで、そんなに痛手はなかったね」
●メンバーが以前に在籍していたバンドを教えてください、僕は最近ドラムのジェイソンがMOLLEY McGUIREに居た事を知って感動しましたが。
「ジェイソンは、MOLLEY McGUIREで何年かやってたね。彼らがGUNFIGHTERっていう名前に変るまで。でも、彼らは今でもMOLLEY McGUIREの曲をやってるよ。 ジョシュは、GLAZED BABYというバンドを最初にやってたんだ。すごく聴くには難しいバンドだよ。だけど、彼らはやりたいことをきっちりやってたね。初めて彼らを聴いたとき、俺の人生で聴いたことのある中で最も角があって不協和音の音楽だった。そこら中が血と榴散弾だらけのとても厳密に構成されたカオスのようだったな。だけど、俺は彼らがやったことを本当に感謝するようになったよ。それから、ポールがSHINERに加わったとき、ジョシュはSEASON TO RISKでポールの代わりになったんだ。ポールはSEASON TO RISKを1990年くらいに作った。93年の暮れにSONYと契約して、彼がベースで2枚の素晴らしいレコードを発売したんだ。それで、’96年の始めにバンドを辞めてSHINERに入ったんだ。そのときが、ジョシュがSEASON TO RISKに代わって入った時なんだ。でも、彼らは今でも素晴らしいバンドだよ。それで、新しいレコードを O&O RECORDSから出してるよ」
●SHINERは3人編成の時もありましたよね?今は4人ですが、その絶対的な違いはどこにありますか?
「俺たちにとって3ピースになった時期と今の4ピースとの違いは、計り知れないよ。すごく違うね。4人になったら全員がもっとタイトに演奏しなきゃいけなくなって、そうしないと、酷い音になるんだ、厚くない。だから、時間が掛かった。だけど、俺たちは4ピースでどうやって違う方法で曲を演奏するかを学ばなければならなかったんだ。それでも、一度俺たちが役割について創造し始めたら、すべての可能性が導かれた。曲を完全に違う場所へ運んでくれるようなカウンターとなるメロディーで自分のセクションを満たしてくれる誰かがバンドに居ると、曲がたくさんの異なった方法でアレンジできるんだ。素晴らしいオプションを与えてくれるんだ」
●THE EGGではインストの曲もありますが、なぜ歌を入れなかったの?
「そうだね!だけど、あの曲に声は入ってるよ!!”ウーーー”って陽気に歌ってるよ。もう一回聴いてみて。ムーグのシンセみたいな音がしてる。あれはアイディアの一種だね」
●DESOTOとの関係は順調?いい関係?キムはお母さんになったんですよね?
「キムとDESOTOはSHINERにすごく良くしてくれてるよ。俺たちは彼女とビル・バーボット(ex JAWBOX)と彼らのナイスな男の子、ニックについて、すごくハッピーに思ってるんだ。彼女は一番長い間、俺たちにとって最も大きいサポーターのひとりだからね。俺たちは’94年にJAWBOXとGIRLS AGAINST BOYSとでカンザスシティーで一緒に演奏したんだ。それ以来、彼女は俺たちに付き合ってくれてる。DESOTOは今でもまだビジネスをしてるんだ。でも、新しいバンドは始めてない。彼女は、ちゃんと最近リリースした俺たちやDISMEMBERMENT PLANみたいなバンドをサポートして、ポロモーションしてくれてるよ。俺たちのレコードは今でもプッシュされてるからね。だけどそれが終わったら、彼女はもう辞めちゃうんだ。確かにすごく寂しくなるよ」
●J・ロビンスについて、彼はどんな人?どんなプロデュースをしてくれた?
「Jには驚くよ。彼には会って以来、SHINERにとってずっと大きな良い指導者でもあるんだ。彼はアートワーク(1ST/SPLAY)もやってくれたしね。俺たちの為に何でもやってくれるよ。だけど、すごく簡単で商業的な仕事は一度も一緒にやったことないね。酒も飲みまくったよ。けど、とてつもない達成感で満たされるんだ。俺は安易に、レコードを作ったてた時が、最も楽しい時間って言えるんだ。彼はバンドにとって素晴らしい客観的な第3者な聴き手なんだ。俺たちがやってることを彼は尊重してくれる。俺はボーカルの面でも彼に感謝している。彼は少し変ったスタイルで、ボーカルを百万回も調子や言葉を正すために歌わせたりしないでも素晴らしい仕上げをしてくれるんだ。ただ4・5回歌ったら、コントロールルームに来ればいいんだ。それで、たった今歌った何回かの実際はパッチワークされたテイクを聞くんだ。説明するのは難しいんだけど、驚くよ」
●ホームページがカッコ良いですね!誰が作ったのかな?
「ありがとう。Shinerのウェブデザイナーは、俺の友達でKC出身のチャドウィック・スミスっていう人なんだ。彼の作ったサイトのおかげで、俺たち注目してもらえる。彼はインターネットデザインの賞をいくつかもらったんだ。なんてかっこ良くてきれいなページなんだって、人々が幻覚を見てるよ。小さい細かい事が、素晴らしいものを作り上げてるんだ→ http://iwick.net 」
●アンディー・ミューラーとはどういった感じでアートワークを作っているの?
「最初に彼にCDを渡すんだ。それで、彼に何であろうと彼の大きなブレインに浮かんだものをデザインしてもらうんだ。俺たちは彼を信じている。彼はいつも、詳細を作り過ぎてしまう前に、いくつかのアイディアを選ぶようにくれるんだ。俺たちみんなが気に入ったアイディアが1個あると、彼はそこから色々作り始めるんだ。彼はどんな方法でもプロの仕上げをしてくれる。彼は、俺たち落胆させたことはないね。THE EGGは流線形のクラシックなスタイルだよね」
●ボーナストラックについて教えてください。
「『Dirty Jazz』は俺たちにとってピアノをフィーチャー楽器として使った本当に初めての冒険だね。キーボードとピアノを使った歌はあるけど、ここまで顕著なものはなかったから。何てこったって感じだったよ。もうひとつの歌『I'll Leave Without You』も、キーボードをたくさん使ってるよ。だから、これが本当に違う点だね。両方ナンセンスについての曲なんだ。俺は、意識の流れみたいなことが好きなんだ」
●まだストックしてある曲はあるの?
「いくつかどっかその辺に曲はあるよ。だけど、くだらないものなんだ。君は「ねぇ、良かったらその歌を使わせて」とか「その曲、このコンピにぴったりだよ」とか思うかもしれないがね。それをもう1回聴いたら、ただどうしようもないものなんだ。だから、なんでその曲が棚上げされたままだったかを思い出すよ」
●練習はどれ位しているの?
「俺たちはたいてい週2回練習するよ。火曜日の午後1時くらいから2・3時間が1回と、木曜日の同じ時間にもう1回。俺たちが『The Egg』を作ってたときは、ある理由から練習の為にある場所を借りなきゃならなかったんだ。だから、俺たち夜練習しようとしたよ。だけど、俺はいつも何かを理解するには酔っ払い過ぎて終わってたね。俺はあれはファックだと思った。俺個人の意見は、午後のセッションで大部分が得られると思うんだ。だけど、夜のジャムは良いに違いないよ。だって、みんなもっとルーズになれて、なぜこれを第1でやっているのかを思い出すからね」
●HOW OLD ARE YOU?
「12歳になったところ」 ←ジョーク
●SHINERは正統的JAWBOXフォロワーと言われたりしてますが、それについてどう思う?
「俺はSHINERは最近より初期の方がもっとJAWBOXみたいな音だったと思うよ。JAWBOX以外のバンドからも、JAWBOXと同じようにいかにパクるか学んだよ・・・。真面目にいうと、彼らは常に影響を及ぼしてるね。だけど、それが必要以上に騒々しく付きまとってしまってないといいな、とは思うね」
●ベーシストのポールはプロデューサーとしても素晴らしい腕の持ち主だと思うのですが、前作はポールがプロデュースでしたよね、同じバンドのメンバーが同時にプロデューサーとして作品を作るってのはどんな感じですか?彼はSHINERの他にどんなバンドのプロデュースをしていましたっけ?
「ポールは確かに素晴らしいエンジニアでプロデューサーだよ。『THE EGG』は2つのセッションにミックスされたんだ。ひとつは、SHINERがプロデュースでJとジェイソン・リヴモアがミックスしたもの。もうひつとは、SHINERプロデュースで、ポールとジョシュがミックスしたもの。だけど、俺たちは最終的な作品にはいつも自分たちを頭にしてたね。ポールは俺たちをスタジオでいつもキャプテンのようにガイドしてくれるんだ。
ポールは沢山のバンドのレコーディングをやってるよCASTER, MI6, REFLECTOR, PAVE THE ROCKET, DOOSU,他にも本当にかっこいいローカルなバンド。70バンド以上は手掛けている。だけど、彼はTOOTH & NAILレコードのSTAVESAKERみたいなもっともっと大きいバンドのを始めようとしてるよ」
●SHINER周辺のカンザスのバンドが続々とメジャーに進出していましたよね、SHINERは誘われなかったのですか?それらのバンドについてどう思いましたか?
「SHINERのキャリアの中で、いくつかのメジャーレーベルから何度か誘われたことはあるけど、ひとつふたつ何かの理由から、契約までは行かなかったんだ。レーベルがバンドをメジャーにすることでどうしたいのかを分かってる限り、バンドがメジャーになることは何も問題ではないんだ。もしレーベルがそれについてもっと現実的だったら、彼らはもっと別のレベルで成功できると思うんだ」
●オールタイムフェイバリットアーチストは?最近は何を聴いている?
「オールタイムフェイバリットはレッド・ツェッペリン。だけど、最近は90 DAY MENとかDEATH CAB FOR CUTIE, DISMEMBERMENT PLAN, LIVE FORGET, JAMES TYLERとか聴いてるよ」
●いくつからギターを弾いているの?
「11歳くらいのときから」
●SHINERで何を表現しようとしているの?
「何であろうと、俺のブレインに浮かんだこと。計画なんてないんだ。内側で燃えてるような開放されるのを待つ青写真やメッセージなんてないんだ。俺が出来ることは、ただそれだけだよ。それで人々にどうしようのないものを与えられたらいいなって思うよ。もし受け取ってもらえないなら、それまでだね。だからって、俺のやることは変らない。待って、これでどんなことに対してもしっかり理解は得られるかな?」
●お気に入りのギター、アンプ、エフェクターを教えて!
「ギターはテレキャスターが大好きだよ。あとアンプは、HI WATTとVOX AC-30。だけど、俺はこの手の質問を受けるにはベストじゃないから。ポールとジョシュはバンドでは技術の頭だから。もし、ギターが曲のいくぶんかを演奏してるなら、俺はそれを演奏する。彼らは俺を自分の道具について知らな過ぎるってからかうんだ」
●いい声ですね!良い声を保つために何かしているの?
「ただ口蓋の掃除として、生玉ねぎのオイルで1日置きにうがいするよ。だけどそれ以外は特に何もやってない。多少のウォームアップとビール2杯で準備は完了だね」
●お気に入りの映画は何ですか?
『This in Spinal Top』
●他のメンバーとはどこで出会ったんですか?
「ポールと俺は1989年か90年くらいに出会ったんだ。で、俺たちは(カンザスの)街の辺のバンドに居た。実際、ポールはその時SEASON TO RISKに居たんだ。90年だとジョシュはまだボストンに居て。だけど、’95年か’96年に(カンサスの)街に来たんだ。彼と他の何人かで、ボストンからカンザスシティーに越して来たんだ。だから、多分音楽が彼をこの街へ連れて来たと気がしてるんだ。ジェイソンはボブカットで街の誰もを負かす演劇を断念した人だったよ。彼はMOLLY McGUIREが’91年に始めるまではこのシーンにはあんまり入り込んでなかったか何かで。それから、残りは歴史だね。もし俺がどうやってSHINERに辿り着いたかのうちわな詳細まで全部話すと、話が長くなるな」
●ありがとうございました!
「どうもありがとう」
(取材:新川拓哉 | 翻訳:川村富美子)
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